【インタビュー連載.002】アーユルヴェーダをスキなヒト FILE.2-1 セラピスト杉原愛子さん

Ayurveda Everyday! では、”ヒトとヒトとの繋がり”、そして、アーユルヴェーダと”ヒト”との、その人らしい付き合い方を大切にしたいと考えています。
インタビュー連載、《アーユルヴェーダをスキなヒト》では、身近なあのヒトのアーユルヴェーダのある暮らしに焦点を当て、暮らしや生き方のヒントを探ります。
あなたに必要な、アーユルヴェーダのエッセンスが見つかりますように・・
そんな想いを込めてお届けします。

第二回にご登場いただくのは、「京都アーユルヴェーダmanju」オーナーセラピストの杉原愛子さん。毎月予約開始から3分で埋まる大人気のアーユルヴェーダサロンで、5月には二号店もオープンされました。まさに関西のアーユルヴェーダサロン発展の立役者でもある愛子さんに、人気セラピストになるまでの道のり、そして、今思うことを伺ってきました。

杉原愛子さん

京都生まれ、京都育ち。

現在は京都にアーユルヴェーダサロン2店舗(京都御所南アーユルヴェーダサロンmanju高倉本店/Ebisugawa manju)を構える。「出会ってから15年。アーユルヴェーダだけは一度も飽きることなく、続けてくることができました」と、真摯な眼差しでインタビューに応じてくださいました。

学生時代から27歳まで、プロを目指してスノーボードの世界にどっぷり浸かっていた愛子さんは、怪我をきっかけにボディワークの世界に入られます。

「スノーボードは怪我が多いスポーツで。シーズン中は北海道でスノーボードに明け暮れる日々だったんですが、27歳で2度目の骨折をして一度身体を立て直すために地元である京都に戻ってきました。

その時、怪我のリハビリのために始めたのがヨガでした。初めはアーユルヴェーダのことは全然知らなくて。ただ、リハビリでヨガを続けるうちに、ヨガがルーツにあるタイマッサージのことを知りました。(※タイマッサージは二人ヨガなどの名称で呼ばれることがある)それで興味を持って、なんとなくこれを仕事にしてもいいんじゃないか、っていう直感から、ギブスをつけたままタイマッサージの学校に通い始めたのが、この世界に入るきっかけです」

ギブスをつけたまま!愛子さんの、アスリート魂を感じるエピソードですね。元々ボディワークのお仕事には興味があったんですか?

「というより、その頃はまだスノーボードを続けるつもりで。オフシーズンに働くために、手に職があるといいなという漠然な気持ちで始めました。ただ思いがけず、タイマッサージの学びがわたしにはとても楽しかったんです。

あと、スクールの先生に一緒に働いてみる?と、誘ってもらえたのも大きかったですね。元々自分で何かをやりたいという気持ちもあったので、いつか独立したくて勉強のつもりで働き始めたんですが、そのうちにセラピストという仕事の魅力にはまっていきました・・

あと、タイマッサージのお店だったんですがオイルを使ったアロマトリートメントのメニューもあったんですね。」

オイルトリートメント。なんだか、アーユルヴェーダとの出会いに近づいてきている気がしますね。

「実は、このオイルのトリートメントで、海外からいらっしゃったお客様から大きなクレームをいただいたんです。

その頃の自分は、働き始めて1年くらい経っていて。お客様からの指名も割とよくいただく方でした。だから、このクレームはわたしにとってすごくショックな出来事だったんです。

けれどそこで、本格的なオイルトリートメントを学びたいという欲が出ました。且つ、またルーツに戻るんですが、同じ頃タイマッサージのルーツがアーユルヴェーダにあると知り。それでもう、“次はアーユルヴェーダだ!“と(笑)。

もしかしたら、この時に今のわたしの着地点が決まっていたのかもしれないですね。」

アーユルヴェーダセラピストである愛子さんの今の施術の基本はオイルを使ったトリートメント。アーユルヴェーダにはハーバルオイルを駆使した、さまざまな施術方法がありますが、現在ではさまざまなテクニックを組み合わせたメニューを提供なさっています。(写真:京都御所南アーユルヴェーダサロン manju 高倉本店トリートメントルーム)

まさに逆境が転機になって今につながったと!

「はい、なのでその出来事にはすごく感謝しています。あとその時から痛烈に思うようになったことですが、

”リピートいただけないということには、必ず意味がある”

と考えるようになりました。この時はたまたまお客様が海外の方だったのでクレーム、という形でチャンスをいただけましたが、特に日本人でクレームを言う人なんてほぼ皆無じゃないですか?ただ黙って、次回はお越しにならない。

だから、その時からお客様がリピートなさらない時は、理由はなんだろう?と考える癖がつきました。そして気づいたことは少しずつ改善していく。今もそれは、変わっていないですね。」

その後は、アーユルヴェーダの道はスムーズに進んでいったのですか?

「当時自宅から通える場所で、アーユルヴェーダのメニューを取り入れているサロンがあって。そこで、勉強しながら1年間仕事をさせてもらうようになりました。

もうこの頃には独立を視野に入れていて、働き始めた時から1年後には自分の店を持つ、と決めていましたね。でも働きながら学んでるうちに、自分は実はアーユルヴェーダのことって全然知らないんじゃないか?と感じるようになったんです。

当時はまだ今ほど情報がなくて、アーユルヴェーダを学べる場所というのもそう簡単には見つからなかったんですよね。でも、幸いなことに関西で素晴らしい恩師と出会うことができました。

大阪アーユルヴェーダ研究所のイナムラ・ヒロエ・シャルマ先生と、Prof.H.S.SHARMAのお二人です」

左から、イナムラ・ヒロエ・シャルマ先生、Prof .H .S .SHARMA、愛子さん

イナムラ・ヒロエ・シャルマ先生は、インド人以外で初のアーユルヴェーダ医でらっしゃいますよね。

「はい。こちらの研究所に通学せていただき、トータル2年ほどしっかりとアーユルヴェーダの基礎を学ばせていただきました。

本来のアーユルヴェーダって、師匠と弟子が寝食を共にして、それこそ弟子が身の回りの世話をさせていただきながら、学びを深めさせていただくんですね。もちろんここは日本ですから、寝食を共に、とまではいきませんでしたが、いわゆるスクールにお金を払ってお客さんとして習いにいく、みたいなスタイルとは違って、大阪アーユルヴェーダ研究所での学びのスタイルには、なんというか弟子入り感が、すごくあるんですよ。

もちろん、イナムラ先生はドクターでらっしゃいますから、教えていただけることもすごく本質的で本格的なことばかり。アーユルヴェーダは医学でありながら、哲学的な側面もあるので先生のブレない、芯のある教育方針が、目から鱗でもあり、すごく楽しかったです。

だから、ここで学んだこと全てを自分の仕事に活かしたいなって思いました。」

具体的にはどんな風に活かしていかれたんですか?

「実は大阪アーユルヴェーダ研究所で学んでいる期間中に、開業もしていました。だからメニューなんかも好きなようにアレンジができて。それに、イナムラ先生たちが教えてくださることは、正真正銘本物のアーユルヴェーダ。だから、自己流とか日本人に合わせてアレンジしようなんてことは考えず、とにかく教えてもらったそのままをお客さんに提供する。ということだけ決めてやっていたら、実際お客様からのリアクションが、すごく良かったんです。」

確かにインドで提供されるトリートメントって日本のリラクゼーションと違う点も大きいので、日本人に合わせてどうするのか?という点で悩まれるセラピストの方も多いですよね。

「もちろん日本人に合わせることも大事だと思います。ただわたしが、インドのそのままをやろうと思ったことには一つのきっかけがありました。

当時アビヤンガの実習の時、ものすごくありがたいことにイナムラ先生のアビヤンガを受けるという機会に恵まれたんです。その日はすごく暑い日だったんですが、そんな日に、ただただ、熱いオイルを大量に塗りたくられて、擦られて。それがものすごく衝撃でした。

元々タイマッサージとか、どちらかというとバリニーズに近いようなオイルトリートメント畑の出身でしたから、オイルトリートメントというと、ある程度揉みほぐす手技を使うことも多かったし、お客さんからのニーズとしても揉まれたい、というのがあるんですよね。

でも、イナムラ先生のアビヤンガを受けた日、ものすごく、信じられないくらい元気になって。なのでこの時に、わたしのブレない決意ができたように思います。

シンプルな手技で。

熱いオイルをたっぷりと。

そして素早く擦る。

その基本の手技にだけは忠実でいようって」

愛子さんの大切な3つの決意。まさにアーユルヴェーダセラピストの、”技術の極意”ともいえそうですね

この時点で、2011年。現在はアーユルヴェーダセラピストの後進の育成にも取り組まれている愛子さんですが、まだまだここからの進化がありそうです。

次回は、もう一人の恩師との出会い、そして現在ご自身が指導する立場になってみて感じていること、また、セラピストとして大切になさっていることなどを伺っていきたいと思います!

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